授業って生徒をダメにするって知っています?
授業をただ受けていると、理解した気にはなりますが真の理解には至ってないんです。
なぜなら、授業というのは、その先生が理解したことを伝えているだけだからです。
理解しているのはあくまで先生側であって、生徒が理解できるかは本人次第なんです。
真の理解というのは、自分で調べてわかったことから生まれます。
自分が壁にぶち当たったときに、教科書やテキストなどを読み込み、「へぇ、そういうことだったんだ・・・」と感じたときに、理解というのは起こるのです。
そもそもが勉強していない子には起こらない現象なんですよね。
勉強していれば、できない問題にぶち当たります。
その問題をどう解けばいいのかを考えるわけです。
自力で解けたときには脳にドーパ-ミンがあふれだし、快感を得るのです。
そして、ますますその快感を追い求めて、自分で頑張って考えることを繰り返します。
頭の良い子の行動って、まさにこれなんですよ。
自分で考えて答えを出すことにこだわるんです。
そういう子にヒントなんて出そうものなら、「やめてください、今考えているんですから」と怒られる始末です。
その後、どうしても分からなかったとしても、調べることをやめません。
色々なテキストを見始め、類題がないか探し始めるんです。
そして、その類題を見つけ、解法の手がかりを見つけ出します。
再度、問題と向き合って、さっきの解法で問題が解けるのか試すのです。
そうして解けた場合も、快感が生まれます。
そして、その解法を覚えておこうと、類題を数題解き始めるのです。
この動きはただ授業を受けているだけではできないでしょう。
授業を受けるというのは、エサを待って口を開けているひな鳥のようなものです。
ピヨピヨ鳴いていれば、エサが口に運ばれるんですから、何も考えることはないですよね。
その中でも考えるだろう存在は、ひな鳥の中でも小さい子でしょうね。
体の小さいひな鳥は、他の兄弟に負けてエサがもらえない可能性があるので、工夫を始めるでしょう。
自分の境遇を悲観せず、がむしゃらに生きるために頑張っていくわけです。
真の勉強方法というのも、こうして生まれていくのかもしれませんね。
人間だって、追い詰められれば、それなりに考えるでしょう。
しかし、追い詰められる環境にはいないので、何も考えないんだと思います。
現実社会は辛い環境ですよね。
大人なら誰しもが感じていると思います。
そういう世の中で生きていくためには、考える力がどうしても必要なんです。
勉強をして学力が上がって、思考能力が上がっていけば、おのずと生きる力が身につくでしょうね。
自分に起こる逆境を乗り越える術を考えるのは、自分しかありませんからね。
子どもがいずれ自立して生活できるかどうかは、意外と自力で勉強できるかどうかにかかっていますよ。
与えられているもので満足している子は絶対に至らない境地ではありますけどね。
社会に出てからすぐにやられてしまうような子にしないためにも、甘やかして育てるのはやめた方がいいと思いますよ。
逆境を跳ね返せる子がこの社会でも生き抜いていけるのですから。
それでは、今日はこの辺で。