どこの高校に行こうが変わらない。

この近辺の高校なら、どこに行ってもそこまで変わらないと思います。

要はそこでどれだけ勉強するかどうかです。

 

偏差値が高いからとその高校に入ったところで、授業についていけず落ちこぼれてしまえば、希望の大学へは行けないでしょう。

もしくは、それなりに学力があっても、その高校に入ってから勉強をしなければ、希望の大学へは行けないのです。

 

要は、どんな高校に入ろうが、そこで一生懸命勉強できないのであれば、希望の大学へは行けないってことです。

そして、希望の大学へ行けずに滑り止めの大学に進学することになれば、その大学が最終学歴になるわけです。

 

例えば、Fランと言われる大学を滑りどめで合格し、そこに進学したとします。

お金を払えば誰でも行けるような大学に進学して、そこから就職活動をしたとします。

残念ながら、その大学からは良い就職先へは就けないでしょう。

 

なぜなら、企業もその大学のレベルは把握しているので、その大学を卒業した人を良く思ってはいないのです。

単に大学の名前だけで、面接を落とされることもあるでしょう。

 

就職先にこだわらなければ、人材不足の現代であれば就職はできるでしょう。

しかし、就職先を選ぶことはできないんじゃないかと思います。

 

最終学歴という話でいえば、高校名は最終学歴として残ることはありません。

そもそもこの近辺の高校のことを、東京などの都会の人が知っているわけもありません。

それだけ地名度が低いのですから、高校名って価値を持たないんですよ。

 

高校名で威張ることができるのは、この近辺に住んでいる人だけでしょうね。

さらに、少子化になって高校自体に入りやすくなっていますから、さらに追い打ちをかけて価値がなくなっているんですよ。

 

結局、高校なんてものに価値はなくて、努力ができるものに価値があるように世の中はできているんです。

その努力の証明が大学の名前になるわけです。

だからこそ、どの高校に進学しようとも、一生懸命勉強を続け、自分の行きたい大学に通ってほしいのです。

 

その大学が地名度抜群であれば、どこにいっても自慢ができるでしょう。

さらに、どんな企業でも、努力の量をみとめてくれますので、大学名を出すだけでもそれなりの企業に就職はできるかもしれませんよ。

 

もちろん、人としての魅力を高めないとダメですけどね。

大学名だけでその人が表せるかといったらそんなことはありませんので。

 

要は良い高校に入るだけで満足はしてはいけないってことです。

どんな環境に入ろうが、努力をして自分を高めていければいいんだと思いますよ。

 

 

それでは、今日はこの辺で。