生徒に考えさせるのは当たり前のこと。

「飢えている人に魚をあげるのか、魚の釣り方を教えてあげるのか。」

この言葉は孟子の格言を和訳したもので、かなり有名なものです。

 

飢えている人に魚を与えれば、その日の腹は満たされるでしょう。

しかし、結局は一日しかもたず、また飢えることになります。

一方で、魚の釣り方を教えてあげれば、その日は飢えて苦しんだとしてもその後は飢えを解消できるでしょう。

 

どちらが有益なのかは、賢明な読者の方ならわかりますね?

 

これって指導することにもあてはまるんです。

生徒に質問をされて、答えを教えてあげるのは簡単です。

私が代わりに解いてあげればいいわけですから。

 

生徒もその問題だけは解くことができるでしょう。

しかし、その後は続かないですよね。

何せ、なんでそう解くのかを理解していないんですから。

 

ということは、私たちは安易に答えを教えてはいけないんです。

もちろん、初見の内容に関しては、どうしてそうなるのかを授業します。

しかし、その後は重ねて指導することを控えた方がいいのです。

 

もし、何度も指導してしまうと、生徒は分からなければ先生に聞けばいいやと考え、授業をしっかりと聞いて理解をしようと思わなくなるのです。

だからこそ、私は再度指導することを生徒から望まれても、簡単に応じることはありません。

 

最低でも生徒が苦しんで考えているかどうかを見ます。

もし、何も考えることなくすぐに先生に頼っているようでは、再指導は行いません。

そういう考えが浅い生徒には、「もう一回自分で考えてこい!」と追い返します。

 

たとえ、ここで優しく指導したとしても、生徒の中に私の声は届きません。

なぜなら、生徒自身が苦しんでいないからです。

 

人は苦しんで考えて分からなかったことに関しては、指導を受けたときにその内容が染みこむのです。

「あ、そういうことだったのか!!」という体験を経て、人は賢くなっていくんですよ。

 

最終的に高校受験などの受験をするのは生徒本人です。

私が代わりに受けてあげられればいいのですが、それは絶対にできませんし、やっちゃいけないことですよね。

 

生徒本人が自ら勉強し、壁にぶつかり、それを乗り越えていく・・・

こうして初めて生徒がその問題を解けるようになるのです。

 

だからこそ、私は生徒に魚を与えることはないでしょう。

どんなに困っていても、努力して理解しようとしない限り指導はしません。

 

もし、優しく手取り足取り指導してくれる先生の方がいいと考えるなら、そういう塾に通って下さいね。

この近辺には塾はたくさんありますし、優しく指導してくれる先生がいる塾もたくさんありますから。

 

私は生徒本人の力を伸ばすことにこだわります。

最低でも1人で考えて行動できるような生徒を、1人でも多く育てていきたいですね。

 

 

それでは、今日はこの辺で。