塾の価値はいかに勉強をやらせるかで決まる。

この田舎の地域にも数多くの塾があります。

全国で数えても、かなり数の塾が存在しているでしょう。

あまりにも生徒数が少ない塾は論外ですが、それなりに生徒を集めているのであれば、一定の信頼があるのだと思います。

 

信頼というのは、通っている生徒が満足しているということです。

成績が上がっている子が一定数いて、その子たちの満足度が塾を支えているのです。

 

ただ、そういう塾でも、そこまで生徒に負荷を与えていなかったりします。

授業がしっかりとしているのは当たり前としても、授業以外は何もしないという塾があるのです。

 

そして、そういう塾でも成績を上げている子がいます。

しかし、それは塾の手柄というよりも、その子の能力が高いからという可能性が高いのです。

 

うちの塾生でも、他の塾に行っても成績が良いだろうと思われる生徒はいます。

もともとの能力が高いですから、授業の良し悪しでさほど影響は受けないのです。

 

何せ一回授業をしてしまえば、一発で理解してしまうんですからね。

一方で、理解が遅い子は何度も私に同じ指摘を受けないと、できるようにならないですからね。

 

このように能力が高い子というのは、どこの塾に行っても大丈夫なんです。

むしろ、塾に行かなくてもそこそこの成績はとってくると思いますよ。

勉強のやる気があって、一定の能力がある子なら、どの塾に行っても成果を出すでしょう。

 

では、塾の価値はどこにあるんでしょうか。

 

それは一定の強制力があるかないかだと思います。

基本的に生徒は自ら勉強しようとはしません。

自ら率先して勉強している子の方がレアなのです。

 

子どもでも大人でも同じなのは、自分でペースを作って走り続けるのは大変だということです。

そういうペース作りを塾がやってあげることで、その子はそれに乗っかって勉強していけば良いことになります。

 

そこに塾の価値があるのではないかと思います。

授業の質よりむしろ、そちらの方が価値があるのではないかと思います。

 

うちでは毎週の英単語テストやら、水曜日の自立支援学習日だったり、テスト前の学習道場など、やたらと勉強を強制します。

それは、私自身がその勉強量こそ、適量だと考えているからです。

 

本来なら強制的に勉強をやらせるのは下策なんです。

生徒の自主性に任せて、生徒に自主的に勉強するように促す・・・

これが理想なんですよね。

 

これができないのが、うちのダメなところなんでしょう。

世の中には、生徒の自主性を促して、自ら努力させるような塾もありますからね。

そういうカリスマ的な塾と比べると、うちは平々凡々な塾なんでしょう。

 

とはいえ、このやり方で一定の成果をあげていることも確かです。

生徒にとって何が良いことか、とにかく考え続けることが大事なんですよね。

うちは愚直にそのやり方を行っていこうと思います。

 

 

それでは、今日はこの辺で。