どのくらいまで勉強したらいいの?

生徒に「しっかりとテスト勉強したの?」と聞いてみると、大半の子は「しっかりとやりました!」と返事をします。

しかし、このしっかりと言う言葉、人によって異なるんですよね。

 

中身まで聞かないと分からない言葉ではあるのですが、さすがにその中身まで根掘り葉掘り聞くことはありません。

それでは、塾が過剰に管理をしすぎですからね。

そんな過保護なことは、うちの塾はやらないんですよ。

 

じゃあ、その子がしっかりとやったかどうかはどこで分かるのか。

それはテストの結果が教えてくれるのです。

点数の伸びがあれば一発で適量の勉強をしてきたかはわかるのです。

 

いつも高得点をとってきている子は、点数をキープできているかを確認します。

点数が下がるということは、努力不足であることは明明白白ですからね。

 

成績が低い子に関しては、成績の上昇がなければおかしいということになります。

なぜなら、大半の生徒が勉強不足のために成績が上がっていないだけだからです。

勉強量が増えたなら多少なりとも成績が上がっていないとおかしいのです。

 

このように結果がすべてを教えてくれます。

私の満足する結果が得られていないということは、その子の勉強量は少ないということなのです。

 

もちろん、生徒の毎の才能も考えて判断を下します。

能力が低い子に過度な期待をするのはかわいそうですからね。

 

私が言いたいのは、適量の勉強というのは成果があげられているかにかかっているのです。

成果が出ていないなら、それは単純にその子の努力不足なのです。

 

なぜここまで成果にこだわるのかというと、受験に合格するシステム自体が成果主義によって成り立っているからです。

どれだけそこまでの経緯が素晴らしかろうと、成果を見せないと評価はされません。

評価されないということは、受験に失敗することを意味しています。

 

たかがテストの結果かもしれませんが、その結果すら出せないものが、受験という大きな試験を乗り越えることなどできないのです。

 

子どもが頑張ったかどうかは、大事なことです。

しかし、成果が出ていない以上、まだまだ努力が不足しているのです。

 

少々可哀想な気もしますが、いまや社会全体が成果主義ですからね。

社会に出てからも、成果が問われてしまう時代です。

 

しかも、日本は競争力を著しく他国に競り負けています。

生徒全員とはいわないまでも、一人でも多くの子が社会で活躍してくれたら私としてもうれしいんですよね。

 

生徒にはいずれ自分のやりたいことを思い切りやってもらいたいですからね。

学生時代に努力することの素晴らしさをぜひ実感してもらいたいものです。

 

 

それでは、今日はこの辺で。