勉強を才能だけでできてしまう子がいます。
そこまで勉強に時間をかけずとも理解ができ、問題が解けてしまうのです。
これはこれで良いことではあるのですが、こういう子にも弱点はあるのです。
それは、必要以上に努力ができないことです。
必要以上というのは、自分が求めるレベル以上のことともいえます。
つまり、現状に満足していれば、それ以上を求めないのです。
ま、大半の生徒はそうなのですから、そこまで問題視することではないんですけどね。
ただ、いざ高みを目指そうとすると、なかなか努力ができない子が出てくるものなんです。
今までそこまで努力というものをしたことがありませんからね。
そもそもどうやって努力していいのかもわからないのかもしれません。
または、変なプライドが邪魔をして、素直に努力できないのかもしれませんね。
こういう子も高校受験まではうまくいくことが多いです。
そこまで大変な思いをしなくても成績はとれているので、受験間近になっても努力らしいことはせずに高校にも受かってしまいます。
ただ、その高校に入った途端、全く成績がとれなくなってしまうのです。
一方で、才能がなく努力で這い上がった子がいたとします。
この子はとにかく大量の勉強をこなし、着々と成績を上げていきます。
高校にはギリギリに合格したとしても、そういう子は努力を続けていきます。
ただ、才能自体は乏しいので、理解するのに苦労します。
しかし、今までも苦労してきたので、その苦労を何とも思わないのです。
努力するのが当たり前なんですから、継続して努力をすることができるわけです。
このように、才能があるというのは聞こえはいいのですが、その行く末が心配でもあるのです。
一方で、努力を継続できる子は強いです。
どんな逆境も跳ね返す力があるので、コツコツとカメのごとく進んでいくのですから。
私もいろいろなタイプの生徒を指導してきましたが、最終的にうまくいく子というのは、努力ができる子のような気がします。
結局、どれだけ才能があろうと努力するものには勝てないんですよ。
ま、見方を変えれば、努力できるというのも才能といえなくもないんですけどね。
勉強の才能はある意味、察しがいいこと同義なのかもしれません。
物事の根幹を見抜くのが素早いわけですからね。
だからこそ、理解も早いわけですから。
とはいえ、それだけでは中学はまだしも、高校で生き残ることができないんです。
最良なのは、才能もあって努力もできる子です。
理想はそういう子に育てることなんでしょうね。
才能にあぐらをかいていては、いつかは壁にぶち当たり跳ね返されますよ。
努力は常にできることです。
まずは、勉強を習慣化することから始めましょう。
それでは、今日はこの辺で。