難しすぎるのも考えもの・・・

自分の実力以上の勉強をするのは苦痛でしかないですね。

第一志望に合格させるために難問を解かせる。

これは間違っていませんが、そのレベルが解く本人のレベルよりもはるかに高い場合、その子には何の得もありません。

 

難しい話ばかり聞いていると眠くなったりしませんか?

興味がない話だからということもありますが、自分が理解できない話は聞き続けることはできないんです。

 

我々大人だって、NHKのニュースをずっと聞き続けるのは苦痛じゃないですか?

そこには何の楽しみもないわけですし、流れてくる言葉は難しいものばかりじゃないですか?

 

これは、子どもも同じなんです。

自分が理解できるものであれば目を輝かせて聞くでしょうが、わからないものに対してはやる気を持って取り組むことはありません。

 

実はこれが集団授業塾の弱点なんです。

その塾の授業のレベルが高すぎた場合、そこに通っても勉強はできるようにはならないでしょう。

 

集団授業はみんなに一斉に授業をしますので、わからない子が一人いようがお構いなしに授業を進めます。

 

授業についていくためには家庭学習を頑張る必要があるんですが、授業でわからないことを自力で解けというのは無理な話です。

 

そもそも自力で理解ができる力があるのなら、塾なんて不要です。

そういう子は塾に通わずに自力で受験勉強を進めればいいのです。

 

他にも、自分の身の丈に合わない高校に通うのも問題かもしれません。

もちろん、そこのペースについて行ければいいのですが、授業のペースについていけないのであれば、そこに行く価値はありません。

 

授業についていけなければ成績はどんどん下がり、あっという間に落ちこぼれになってしまいます。

そして、そういうレベルの高い進学校は落ちこぼれには優しくありません。

どんなにやる気があろうが、授業についてこれない人間は容赦なく見捨てられます。

 

どんな世界でもそうですが、一度落ちこぼれになってしまったら、そこから這い上がるのは至難の業です。

学校に通っているだけでは這い上がることはできないので、それこそ毎日のように家で勉強するしか手はなくなります。

そんな高校生活を送るために、その高校に入ったわけではないのに、頑張り続けるしか道がなくなるのです。

 

私は長い塾講師の歴史の中で、そのような子をたくさん見てきました。

やる気はあるのについていけないのは、端から見ていてもかわいそうになってしまいます。

 

自分の能力を卑下するのは愚の骨頂ですが、あまりに高望みをするのも考え物です。

自分に合った環境で一位を目指す・・・

それが一番頑張れる環境なのかもしれませんね。

 

 

それでは、今日はこの辺で。