こういう教育関係の仕事をしていると、どうしても生徒を叱らなきゃいけないときがあります。
私は、特にやる気のある生徒や成績を上げたいと思う生徒には、厳しく当たることが多いです。
やる気のある生徒が道を踏み外そうとしているときは、すかさず説教をしますね。
一方でやる気のない生徒には注意はするものの、叱ることはないですね。
やる気のない生徒をやる気にさせることなど大変なだけなので、そういう労力はやる気のある生徒に向けるようにしています。
そもそもやる気のない生徒はうちの塾はお断りですし、塾に入れるだけ無駄ですよ。
その子本人が危機感を持って勉強するならまだしも、成績を上げることを大事にしていない子など塾に通わせるだけ無駄です。
大事なことは親子の関係性なんだと思います。
親が成績に無関心であれば、子どもが成績に無関心なのは仕方のないことです。
いきなり親が子の成績に関心を持ったところで、子ども自身がすぐに関心を持つはずがないのです。
それこそ、成績を意識するためには、成績を大事だと思わせることが必要なんです。
それも少しずつ刷り込むように、成績の大事さを教えていく必要があるのだと思います。
根気強く少しずつ成績を意識させる・・・それを何年も続けて子どもの意識を上げていくのです。
これを外部に頼ろうとしても、それはお門違いです。
運が良ければ、学校の先生や塾の講師が生徒のやる気を上げてくれるかもしれません。
しかし、そんな人たちでも責任はとれないんですよ。
責任ということであれば、それは親がとるしかないんです。
子の行く末に関して責任をとれるのは親だけなんです。
たまに子どもの自主性を重んじています。と話す方がいらっしゃいますが、それはある程度子どもを鍛えてから言えることなんだと思います。
放置することと、自主性を重んじることはイコールではないんですから。
子どもに干渉することを怠けている人は、子どもの成長を見ることは叶わないでしょう。
ある程度、子どもが大きくなってしまったとしたら、根本から子どもを変えることは無理だと思います。
しかし、親子の話し合いを持つことによって、親と子の方向性を合わせることはできると思います。
思春期になると子ども自身が親を敬遠しますので、なかなか親子の会話が難しくなるとは思います。
それでも、親子の会話をするしか、子どもの意識を変えることはできないのです。
本来は親は子に厳しくあるべきだと思います。
「獅子はわが子を千尋の谷に落とす」という格言があります。
獅子は谷から這い上がってきた子どもだけに愛情を注ぐというものですが、これはただ親の獅子が厳しいだけではないのです。
親だって子を谷に落とすなんてしたくないんです。
しかし、愛情があるからこそ子どもに厳しく当たるんです。
子の行く末を案じているからこそ、強く育てたいからこそ、こういう行動に出るのでしょう。
いつか子どもは親の手から離れていきます。
そのとき、その子が社会の理不尽さにやられてしまうのか、それともそれをはねのけることができるのかは親の育て方次第です。
嫌われる勇気を持ちましょうね。
子に嫌われるのをびびって叱ることができないなんて、子どもを本当に大事に思っていることにはなりません。
最初はうざがられたとしても、その厳しさを後々子どもに感謝されるようになるのです。
子どもが大事ならなおさらです。
何が子どものためになるのか、それを考えれば勇気ある行動はできるはずですよ。
ちなみに、普段から叱ることができている人は問題ないです。
叱るときはヒステリックにならないようにだけ注意してくださいね。
大事なことは親子の方向性を合わせることなんですから。
それでは、今日はこの辺で。