私が思う真の過保護とは?

世間的に「過保護」というと悪いような言葉に聞こえますよね。

というのも過保護というのは、子どもを甘やかして育てることととらえられているからではないでしょうか。

 

子どもが辛いだろうなと思うことをできるだけやらせないようにする。

子どもが欲しがっているものをできるだけ買い与える。

子どもがやりたがっていることはどんなことだってやらせる。

 

子どもからは優しい親という評価をもらいたいと思っている。

叱ったら、子どもに嫌われると思っている。

自分が死ぬときまで、ずっと子どもの面倒を見ようと思っている。

 

こんなことばかり行っていたら、子どもを真に鍛えることはできないでしょう。

そして、このような行いは間違った過保護だと思うのです。

 

とはいえ、私は結婚もしてませんし、子どももいません。

こんなことをいう資格はないのかもしれませんが、いち教育者として言わせてもらえたらと思います。

 

真の過保護というのは、子どもの未来を考え厳しく接することだと思います。

 

子どもが社会に出れば、社会の荒波に飲まれることになります。

そんなとき、自力で泳ぎきることができるのか、おぼれてしまい二度とその荒波に挑戦しなくなるかは、子どものころにどう躾けたかが問題になると思います。

 

私は塾講師ですので、勉強させることと絡めてお伝えしますね。

子どもに勉強をやらせないとどうなるかを想像してください。

 

その子は必要な教養を身につけることができないだけでなく、自分が進みたい進路に進むこともできなくなるでしょう。

そもそも学力が低くなってしまうわけですから、自分の希望する高校には入れない可能性が出てきます。

加えて、努力する経験をしないまま成長することとなります。

 

大した努力もせずに成長し、大人になりいきなり社会に放り出されます。

もしかすると、仕事がうまくいかず上司に怒られる毎日が来るかもしれません。

また、人間関係がうまくいかず悩み、鬱になってしまうかもしれません。

 

もちろん、たいした努力をしなくてもうまくいく仕事もあるのかもしれません。

でも、失敗すれば怒られ、努力を要求されます。

そんなとき、努力の経験がない人が、その窮地を乗り切ることが果たしてできるのでしょうか。

 

うちの塾生の保護者様の中に、正しい過保護を行っている方がいらっしゃいます。

その方は、子どもの成績を厳しく監督し、成績が下がったらしっかりと叱責ができる方です。

そして、子どもが勉強を頑張るといえば、毎日でも塾に自習に来させることができる方です。

 

一見、厳しそうに見えても、子どものことをしっかりと愛しているのが伝わってきます。

そういう愛情が行き届いているからこそ、子ども自身もとっても素直で頑張り屋なんです。

子どもの未来を真剣に案じているからこそ、厳しく接することもできているんですね。

 

真の過保護は、子どもを甘やかすことではありませんよ。

子どもがわかってくれるまで、何度も親が子どもに干渉することこそ、真の過保護だと私は思います。

 

子どもが後に、「あぁ、厳しくしてもらってよかった」と思ってもらえるように、今は厳しく接してくださいね。

 

ちなみに、躾けだからといって、暴力をふるうのは過保護とは全く関係のないことです。

それはただの虐待ですので止めてくださいね。

これを読んでいる方に、そんな方はいらっしゃらないでしょうけど、念のため・・・

 

 

それでは、今日はこの辺で。