間違えは、直そうとしないければ直ることはない。

英語を指導してきて思うことがあります。

それは、何度も同じような注意をしているということ。

そして、何度言っても生徒に伝わらないことがあるということです。

 

たとえば、

英語の文は「動詞」は一個しか置けない。

これは何度も注意するフレーズなんですが、平気で同じ文の中に動詞を2個置いてしまうんです。

 

これは「動詞」そのものがわかっていないことも考えられますが、そもそもそこに注意を払っていないのです。

 

間違えを発見したら、私は「間違っている」と指摘するだけで、生徒本人が間違えに気づくまで待ちます。

どこが間違っているというのは、なるべく指摘しないようにしています。

 

もちろん、まだ英語に不慣れな子には、丁寧に何で間違えているのかを説明します。

しかし、何度も同じ注意をしている子に関しては、すぐに何で間違えているかを指摘することはありません。

そもそも、自分で間違えに気づける人間にならなければ、テストで点数をとることができないのです。

 

他にも、数学で連立方程式を解いて間違えたとき、私は必ず怒ります。

それは、単に計算ができていないから怒るのではなく、たしかめ算をしていないから怒るのです。

 

連立方程式の計算、他の方程式でもそうですが、答えを代入することで間違えに気づくことができるのです。

私は指導する際、計算方法はもちろんのこと、たしかめ算についても指導するようにしています。

計算が終わったら必ずたしかめ算をするように指示しているのにも関わらず、それを守らないのだから怒られるのも当然です。

 

たしかめ算をすれば間違えに気づくことができるのですから、連立方程式は間違えるはずがないのです。

実際、私はテストで連立方程式を間違えたことがありません。

 

ただし、計算力がそもそもない子は、たしかめ算自体ができないので、怒ることはありませんけどね。

 

自分がどこで間違えるのかを、自分で気づけるようにならないと、テストの点数は安定しません。

中3生でも、私が何度も大事だと言っているのにもかかわらず、同じ間違えを何度もしてしまう子がいます。

受験間近で焦っているのにもかかわらず、間違えに気づけないのです。

 

こういう場合、この子自身が危機感ももち間違えに対して敏感になってもらわないとどうしようもできません。

私は最後まで注意してあげることしかできないのです。

 

受験間近までくると、私たち教える側がしてあげられることはなくなっていきます。

というよりも、なくなっていかないとマズい状態なんです。

 

すでに中3生には指導する内容は指導しきりました。

後は実践あるのみです。

実践して、間違えをして、修正して、成長してもらいます。

受験まであと少し、自分に厳しく追い込みをかけていきましょう。

 

 

それでは、今日はこの辺で。